永田明史とインド料理・・3

 ショックから引き篭もっていた永田さんは当時を振り返ってこう語る。
「結果的にはあれで背中を押される事になった。どうせ死ぬなら今すぐやりたいに事に打ち込むべきだと思ったの。」
 いつか地元でインドカレー店を開くんだと強く心に決めた。そして食べ歩きの経験から『デリー』と『マハラオ』に修行先の照準を定めた。
 「まず『デリー』にバイトの面接に行って、先代の田中社長にいきなり直談判したの。『インド料理がやりたいんです。勉強して田舎へ帰って店を開きたいと考えています。だから、社員にしてほしい』。でも、『お前、大学三年生だろう。卒業してから来い。親の了承も得ずにそんなこと俺が受けるわけにはいかんのだよ』って断られた。だから、実家へ戻ってお袋を連れ出して、もう一度会いに行ったもん。『頼むで、親父には内緒でいいって言ってくれ』って。お袋はもう俺の気持ちをわかってくれてたから」
 こうして社長の説得に成功した永田さんは、大学を中退して「デリー」の社員になった。
 「厨房は和気藹々としてたなあ。『この赤いスパイスなんですかね?』『それはね、トヨタの車だよ』『何かなあ、カローラじゃないしなぁ、あ、パプリカ!』『じゃ、こっちは? 日産の車の名前だぜ』『なんだろうなぁ』『ローレルだよ』、何にも知らない新人が大学を中退してやってきたから、本当にみんなにかわいがってもらったな。そんな中で『一からきっちり教えるよ』って言ってくれたのが『ナーランダ』の高橋さんだった。同僚には調理師学校を出た人も多かったんだけど、俺は負けたくないじゃん。包丁の研ぎかたからスパイスから何から質問攻め。毎日日記に書いて覚えた」・・・・・

続く

永田明史とインド料理・・3


上は超特大のフライパン。。燃料はコークスみたい。。
下は炭火で焼くタンドリーチキン。今日の番組でも言ってましたが、こうして焼くと肉汁や美味しいタレも落ちてしまうので、タレしっかり味わってもらうためにボンベイ庵のタンドリーチキンは工夫をしてあるんです。



永田明史とインド料理・・3



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