永田明史とインド料理・・7

 時間が少し前後しますが、店をオープンする前とオープンしてからの永田さんの心の内。
 「店を経営する上での心の師匠は『デリー』の先代の田中社長だった。田中さんならどう考えるだろう、そこに俺の味付けはどうできるのかって常に意識した。それと、『マハラオ』時代にお世話になった福本さん(昭和40年代に人気を博したタカノワールドスナック・レストランを手掛けたうちの1人)は、『飲食はショービジネスだぞ』って言ってた。『永田君、客がああだこうだと言っても自分のスタイルを変えるなよ。本場は違う、もっとこうしたほうがいいって言う客が絶対にでてくる』って。実際そういうお客さんもいっぱいいたわけ。こっちは借金もあるし不安だらけだから、オープン1ヶ月くらいして悩んでいたんだ。そこへちょうどタイミングよく福本さんから電話があった。『永田、そろそろ悩んでいるんじゃないか?』『いや、悩んでいますよ、実はこういうお客さんがいて・・・・・』『いや、変えちゃいかん。お前さ、自分の信じたやり方でやって潰れたってええやんか!』。それで悩みがいっぺんになくなった。俺はあの言葉に何度も救われたもん。」
 東海地方初の本格的なインド料理店。見慣れない料理に戸惑う客はたくさんいた。
 「最初はひどかったよ。『なんでテーブルにソースがおいてないんだ。店長を呼んで来い!』ってところからスタートだもん。『僕はインドまで行って勉強してやってます。しょうゆやソースをかけられるのは辛いので、気に入らなかったら御代はいりませんので、一度このまま食べてみてください』ってよく話をした。シナモンのかけらが入ったら、『木の皮が入ってる』って怒られた。浜松って田舎だなって思ったもん」
 営業中、永田さんは何度も調理場から飛び出して、客のテーブルへ駆けつけた。
 「自分が好きなカレーのことだから説明したくなるでしょ? 毎日時間の許す限りお客さんにカレーの説明をするんですよ。どんなにカレーを好きかって事も含めてね。そうするとお客さんがついてくれる。これは『デリー』時代に学んだことなんだ。

続く

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