永田は燃えていた。学生時代に「マハラオ」でウェイターのアルバイトをしていた男が、当時の永田の事をよく覚えているという。
「永田さんは、熱い人でした。学生バイトの私に『これからはインド料理の時代が必ず来る!』と言い残して『マハラオ』を辞めていったのを思い出します。
20代後半にさしかかった永田さんは、自らの夢に向けた最後の仕上げに取り掛かる。
「インドに行こうと最初から決めてた。絶対に本場を見てから店をやろうって。パキスタンのカラチに行って、『デリー』時代の同僚のムバリクを訪ねた。そこからつてをたどって、インターコンチネンタルホテルで雇ってもらった。給料はいらないから三食まかないつきで料理を教えてもらうって条件だった。その後は、『シェザン』ってレストランでも働いた。全部で半年くらいいたかな。同僚のパキスタン人コックからは、『インドに行っても同じだ』って言われたけれど、実際に行っておかないと本場を知っているお客さんと語れない。日本のインド料理店とは空気や匂いが違うだろうから」
パキスタンを後にした永田さんは数ヶ月ほどかけてインド、スリランカ、ネパールを食べ歩いた。帰国後、計画通りに遂行した“修行”の成果を「ボンベイ」にぶつけた。
続く
★当時の「シェザンレストラン」